震災から7ヶ月が経ちました・・・
ニーハオトンシン 2011年9/10月合併号 岡部美智子 10月11日に、奇しくも義母みよ(88才)の故郷、群馬県館林市に住む母の幼馴染みの方より、母宛てに手紙が届きました。 みよちゃん、永い事ご無沙汰して居ります。 東日本大震災後、みよちゃん家、どうしたかな どうしてるかなと、毎日不安に思っていながら七ヶ月が過ぎてしまいました。 年を取ったせいか、中々億劫になって来てしまって、とうとう今になってしまいました。 どうぞお許し下さい。 地震、津波、原発と大きな災害でしたが、みよちゃん家では如何だったでしょうか。でも私みたいに一人暮らしではなく、お子様、お孫様皆と一緒だから、きっとみんなに守られているに違いないと、ある程度安心もして居りましたが・・・・・でもずい分恐い思いをされたかと思います。 群馬の方も味わった事もない大きなゆれで、とっても恐い思いをしました。 家も家の近所も屋根瓦をやられ被害にあいました。 今でも大島あたりもそうですが、直らない家が一杯あります。でも家は、お蔭様で台風までに直りました。 それにみよちゃん所では、原発事故もあり余震も続いて居り散々ですものね。 本当に心配しながら今までお便りも出来ませんでご免なさいね。 どうなさっているか何時でも結構です。御一報戴ければと思って居ります。 勝手なお便りお許し下さいませ。 みよちゃんのお元気な事をお祈りしつつ筆を置きます。 平成二十三年十月七日 高塚 畔(はん) 岡部みよ様 追伸 今はこのお便り書きましたが足がないものですから何時ポストに投函出来るか不安です。悪しからず。 |
上に紹介した文章は、88才の畔さんからいただいたお手紙です。 地震後、幼馴染みを心配していたのになかなか手紙が出せなかった事等の心情が切々と伝わってきます。 母のみよは、今、病院に入院していて震災のときも病院でしたので、病院の建っていた場所が安全なところで心配なかったこと、8月に2度程転んでしまい、今は歩けなくなってしまったこと、でも畔さんからの手紙を読んで伝えると、ニッコリしていたことなどを母の代わりに私が手紙に書き畔さんへ返事を出しました。 |
母は8月に転んでから、一気に弱ってしまい、食事もなかなか自分では出来なくなってしまいました。痴呆も少し入ってきてしまっているようなんですが、どうしても、88才一人暮らしで頑張っている畔さんには、知らせたくなかったので、『歩けなくなっても、また歩きたいって頑張ってきちんと食事を摂っていますよ』と、畔さんへの手紙を締めくくりました。 こんな風に88才になっても、幼馴染みの心配をし、遠くからわざわざ手紙を書いて来て下さる畔さんに家族で感激してしまいました。 本当に心のこもった温かい手紙でした。 また逆に、88才になった今でも、幼馴染みからこんな手紙をもらえる母は若い頃、どんな娘だったのかな~とも思いました。 自分たちも将来、母と同じ年齢になったとき、こんな風に心配してくれる友達がいるか・・・決してこれからでも遅くないはずなので、私自身もそんな生き方をしていきたいと思いました。 |