フラガール!!
ニーオトンシン 2006年10月号 倉本健治 東洋の“ハワイ”と言って、ハワイアンセンターが出来たのが、私が湯本高校に通学している頃だったと思います。(昭和41年)当時はまだ、湯本町の始り、いわきの各地には“ボタ山”から“炭鉱住宅”がありました。古殿町からやってきた私にとって、その様な風景は、少し奇妙な感じでした。 フラガールの映画を観て、最初のシーンが何とその“ボタ山のシーン”ではありませんか!!正直懐かしかったですネ!その当時の炭鉱夫の仕事、そして家族の苦労は、今、映画を見て初めてわかることが多く、当時高校生だった私には、とても想像もつきませんでした。 |
さて、フラガール・・・私の弟夫婦が、私たちの前に観てきていて「すごくいいから観てきたら」と言われ、楽しみに映画館へ・・・正直、観初めてから三分の一位までは、北の国からを観てる私では泣けるシーンがありませんでしたが、映画は徐々に後半へ・・・踊り子になる為に、母親から勘当された主人公・紀美子役の所に、その母親が尋ねてきて、初めて娘の練習風景を見た所・・・辺りから・・私の涙腺は、少しずつ開き始めました。そして失敗をしながら各地を回り、デモンストレーションで踊り、徐々に本番へ・・・南海キャンデーズの“しずちゃん”も良い演技してました。いよいよ本番・・無論スパリゾートハワイアンズでの撮影・・全て踊り子は役者さん…正直驚きました・・・良くあそこまで練習したナーと、そして主役の紀美子の一人での、踊り辺りから、私の涙腺は、全開となりました。 本当に素晴らしかったです!!そして、画面の中の女優さん達みんなが流していた涙は、自分達が本当に苦労して達成した・・・その涙だったんですね!! |
映画の帰りに買ってきた、フラガールのパンフレットを見ると、炭鉱夫の住居は、8軒が連なった長屋で、無論トイレ・お風呂は共同だったとか・・・私の友人のご主人が昔炭鉱住宅に住んでいたと言う方が『だから“ハーモニカ長屋”って言うんだよ!!』と教えてくれました。成る程!と納得しましたが、パンフレットを読んでるだけで、当時の炭鉱夫の家族の大変さがみえてきました。 |
ただ・・・涙しながら気になったのが、この“いわき弁”東京の人とかが聞いたら、理解できるんだろうか???ということでした。それは例えば、『この、でれすけー!』“でれすけ?”いわきに住んでいる私でも使った事がない言葉なので、詳しくは知りませんが、東京でももちろん、使わないでしょうネ。ただ、訛りはいいのですが、少し、いわきの訛りとは違うかな?という会話も有った様な気がします。皆さんは観て如何だったでしょう? それでも、びろうな会話でしたが、映画の最初の方で高校生の女の子(蒼井優)のセリフの中に「そんな事言うんだったら、小学校の頃、ウンコむぐした事内緒にしてやんねーぞ!」と言うセリフには、笑いと共に懐かしさを感じてしまいました。私たちが小学校の頃も友人と喧嘩をすると、互いに「このウンコむぐしーー」なんてやってましたからねー。。。たぶん、今の子供達は絶対言わないでしょうね? |